無能扱いされることを極度に恐れる社会
前回グレーゾーンについて記事を書いた。
発達障害のような病気がクローズアップされるようになったのは、現代社会の「普通」の難易度が高すぎることも少なからず影響していると思う。
世間で「普通」と定義されるものは、あまりにハードルが高い。
私は「普通」の領域に入れなかった人間だ、「普通」から漏れた人間だ、という自覚がある。
よくわからないが、自分は「普通」だと自信を持って断言できる人なんて存在するのか?ってくらい、「普通」は難しい。
でも、不思議なことに、会社で働いていたりすると、周囲の大半の人たちに対して「あの人たちは、普通だ」と感じてしまう。
そりゃあもう、私からすれば「普通すぎるくらい普通だ」と。そう感じてしまう。
深く話をすれば、彼ら彼女らの中にも、「普通」の枠からはみ出した人がいるかもしれないのに。表面上は「普通」に見えるけど、困難を抱えている人がいるかもしれないのに。
SNSの影響が大きいと思うけど、誰もが「無能扱いされること」を極端に恐れているように思えるんだ。
昨今できない人がいると、すぐ見下したり馬鹿にしたり病気扱いしたりする傾向がある。
誰かを無能扱いして揶揄したり攻撃したりする人たちは、おそらく自分自身が無能扱いされることを極度に恐れているんじゃないかな?
だからこそ、誰かの些細なミスやちょっとした行動をあげつらって、嘲笑するしかないんじゃないのかなあ。自衛のために。自分はあんな(無能な)人とは違う!!!ってね。
ただ、「普通から漏れた」自覚のある私からみても、驚くほどに「普通じゃない人」にときどき出会う。そういうとき、この人はとんでもなく生きづらいはずだと感じてしまう。
きっと生きづらいこと自体に気づいていない「生きづらい人」。そういう人は確実に存在する。
本当に今の社会で「普通」に生きるって難しくて、苦しい。
いつもどっか遠くへ行きたいと思ってる。
ときどき、無能を逆手にとった生存戦略を実行している人を見かけるけど、こういう人は「自称・無能」で実際のところまったく無能なんかではないんだよね。どう動けば不利益を被らないかわかってるんだ。立ち回りが上手い。
まあ、でもなんか、「無能」って嫌な言葉だな。
誰かに対して使わないし、当然自分に対しても使わない。
適材適所ってのがあって、ある場所では無能扱いされる人が、別の場所では輝くことってあるよなあ。
普通とか普通じゃないとか、まったく無縁の世界へ行きたいっていつもいつも思ってる。