グレーゾーンかもしれないと疑ってきた
実を言うと、私は子供の頃からずっと違和感があった。
あれ?おかしいな?ということが度々あった。昨今発達障害という病名は多くの人が知るところとなったと思う。
ネットや本などで得た情報から、自分はグレーゾーンかもしれないと薄々感じてきた。
ネット上にころがっているチェックリストなどを眺めていると、自分に当てはまると感じることも多かったが、それは自分だけでなく誰にでも当てはまることのようにも思えた。
日々違和感や困難があるにしても、50年近くこの身体でなんとかやってこれたのだから、今さら診断を受けたいという気持ちもない。
それに、自分の体感として、グレーゾーンかもしれないが診断がつくほどでもないんじゃないか?という気がしている。
新聞で書評をみてから気になっていた「あらゆることは今起こる」柴崎友香著(医学書院)を読んだ。
柴崎さんは芥川賞作家で有名な方なので名前は知っていたが、彼女の小説は1冊も読んだことはない。
そんな柴崎さんが数年前ADHDの診断を受けたという。その体験記を出版されたと知り、ぜひ読んでみたいと思った。
一体どのようにADHDを疑い診断に至ったのか?
グレーゾーンかもしれないと自身に疑惑を抱いている身としては、ひとりの作家の身体のケースを知りたいと思った。
まず、おおまかな感想としては、これは発達障害の体験記という側面の他に、”小説家としての自分”、どんな小説を書いていきたいか、書く使命があるのか、そういったことがより大きなテーマのように感じた。また、ADHDという特性ゆえに小説家という道が開けたというようにも受け取れた。
幼少期から現在に至るまでのエピソードはいろいろ参考になった。
私自身のことを話すと、(ADHDではなく)ASDなのでは?と自分を疑ってきたが、柴崎さんのエピソードを読んで、わりとADHD気質もあるように思えた(柴崎さんはADHDで、ASDも少しあるとのことだ)
例えば、ずっと眠い。
子供の頃からアレルギー持ち(身体のままならなさ)
体幹が弱い。
あと、私の子供の頃の記憶として、他人の上着を着て帰る。他人のランドセルをそれと気づかず背負って帰るということが何度かあった。
あと他人の連絡帳を間違って持ち帰るとかもあった。けっこう他人の物を持ち帰る系は多かった。
大学生の頃には、講義中寝ていることが多くて、ある少人数制の講義を受けていたとき、眠気に勝てず寝ていたところ、教授が突然怒り出して「今日はもう休講!!!」と叫んで退出してしまい、私の居眠りが原因で休講になってしまった。
周りの学生は、うぇ〜い!休講!ラッキー!!って感じで瞬時に教室から解散して、サァーっといなくなった出来事を今も覚えている。
あ、やっちまったな、という。
思い返すと、この講義、毎回寝てたんだよな。教授も堪忍袋の緒が切れたんだと思う。
ただ、ADHDの特性としてよく挙げられる「遅刻が多い」「片付けられない」に関しては当てはまらない。
遅刻は不可抗力(人身事故で電車が止まったとか)以外でした記憶はないし、常に早め行動を心がけているので、これまでの人生は、ずっと待たされる側だ。
片付けられない、に関しては、う〜ん、20代くらいまではその傾向が強かった。でも、30代くらいからかな?わりと片付けられるようになったし、ある程度片付いていないと落ち着かないほどになった。部屋に物が多いので雑然としているけど、一応ちゃんと片付いているって感じかな?
柴崎さんは何度も丁寧に書いているが、いくらADHDの特徴といわれるものに該当したからといってADHDとは限らない。同じADHDでも一人一人その内容が異なっている。
だから、表面的な特徴だけで自分についても他者についても断定することはとても危険だ。
それに実際に診断を受けるには、さまざまなテストを経て、非常に深くあらゆる角度から診ていくとのことだ。だから、ネットに転がっているチェックリストなんかでは本当のことはわからない。
やはり信頼できる医療機関を受診することが大事だと思った。
それで、私はASDのグレーゾーンなのでは?と自分を疑っているので、この本に関してはADHDがメインだから、そこらへんはそれほど参考にはならなかった。
柴崎さんは友人がとても多く交友関係も広く、難なく人付き合いをされていて、対人関係が困難なようには思えなかった。ただ、文章の中には「コミュニケーションが苦手でこれまで人間関係を壊してきた」ということも記載されていて、う〜ん、でもそれは、私の抱える困難とは少し種類が違うものに思えた。
あと、SNS中毒なのだろうか?度々ツイッターでの出来事などが記載されていて、かなりそういったものに染まっているのかな? 言い方は悪いが毒されているのかな?と思えて、それは少し気になった。
SNS時代らしく、とにかく全方位に配慮して文章が書かれている気がして、一番大事な部分、吐露すべき苦悩をあえて意図的にぼやかしている?とも思えた。
作家という職業上、それは小説の中でやるということだろうか。
とにもかくにも、ひとりの人間の身体をめぐる思考の旅は興味深く、夢中で読んだ。
一体、自分がなんなのか、結局はわからないのだけど、誰かの体験、誰かの言葉は常に私を揺り動かす。